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おかめ「アン」、うさぎ「クロ、ミミ、チビ」 2011.06.05 東日本大震災後初めての投稿です
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2011.06.05 東日本大震災後初めての投稿です
- 2011/06/06(Mon) -

我が家の家族のブログへようこそ!

アン、クロは11歳になりました。

ミミとチビはまだ3歳になったばかりです。

クロは2009年1月4日に白い布に包まれた箱に姿を変わってしまいましたが、

これまで残してくれた写真と記事を少しずつ紹介しています。

これからも我が家の家族をよろしくお願いします。



スライド写真集、 アルバム ~ ぜひ、お立ち寄り下さい!


               
           「レビン」のブログへジャンプします。

              

               


音楽のホームページ ~ 約100曲の自作MIDI、私自身のヴァイオリン演奏(MP3) 71曲、その他「You Tube」などを紹介しています。自由にダウンロード可能です。

シュトラウスの「春の声」



            おかめ「アン」01-朝のあいさつ




*アンの映像は「朝のあいさつ」です。いつもは、私の口笛と一緒なのですが、一緒だと、どちらの声か分からなくなるので、今回は私は遠慮しています。

*初めて訪問された方へ~おかめ「アン」、うさぎ「クロ」は、11歳になりました。アンは元気そのものですが、クロは、2006年、下の歯2本を喪失し、さらに、2007年10月に右前足を骨折、その時のショックで、食事もできず、体力を消耗し、後ろ両足で立つこともできず、一時、危篤状態にまで落ち込みました。でも、以前食べていた餌をあげたところ、食べ始め、体力も回復し、現在に至っています。餌は「特別食」を食べ、右前足は少し不自由ですが、元気に毎日を過ごしていました。
しかし、2009年1月14日(日)午後1時30分、クロは突然、息を引き取ってしまいました。うさぎには「腫瘍」と同じぐらい怖い「膿瘍」が原因でした。2年間の介護生活は、クロも私も大変でしたが、充実した生活を送ることができました。これからも、これまで撮影した写真(未公開も含め)を紹介し、ブログは続けて行きます。

我が家に来て1年目のクロの動画です。すずめ「チー」の声も聞こえます。



2008年12月初旬に生まれた赤ちゃんうさぎのピーター・ラビット「ミミ」です。女の子です。食べ物より「穴掘り」が大好きで、新しい牧草を入れてやると、大喜びをして「穴掘り」を始めます。




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*約1年ぶりの写真投稿です。昨年2010年9月12日(日)の午後、家の近くにある「イオンタウン」で買い物をして自転車で帰宅途中、自転車と一緒に車にひかれてしまいました。2台の車が停車してくれ、2台の運転手さんに頭をさげ、渡ろうとした途端、2台の車で見えなかったもう1台の車が走って来て、私をひいたようです。

私は、私が事故に遭ったことも、事故の様子も全く分かりません。私が気が付いたのは3日後病院のベッドの上です。救急車で運ばれる途中、「助からないかも知れない」と言われたそうです。2日間意識無し、葬式の話もあったようです。

3日目に「何故、ここに居るの?」と意識を取り戻しものの、しばらく言葉を思い出せず、周りの人に聞くことも返事することもできませんでした。首は固定され、左脚は動かせず、腰も金属で固定され、左肺で呼吸することができず、左耳は全く聞こえませんでした。天井を見ると、一面にたくさん渦を巻いてうごめいているのが見えました。後で分かったのですが、脳にも少し損傷があったようで、寝たっきりの約3ヶ月間、自分が崖っぷちのベッドで寝かされ、生死をさまよっていました。主治医、看護師さんが来るのも下の方から登ってやって来ました。恐怖で、ベッドを崖っぷちから離してくれるよう毎日のようにお願いしました。

しばらくして自分の状態を知らされました。左脚複雑骨折、骨盤骨折、左胸の肋骨骨折、左耳からの多量の出血、それに首の骨の骨折。一番驚いたのが、首の骨、頸椎(けいつい)の骨折です。首の骨が折れてしまったのです。ご存じのように、頸椎の中を神経、血管、呼吸組織が通っています。呼吸困難で即死する人が多いそうです。助かっても神経麻痺で寝たっきりになる人が多いそうです。運良く退院できても首(頸椎)を固定している「フィラデルフィア」次の「ブルーカラー」をはずすには長い期間かかり、治るには1年から1年半はかかると主治医に言われました。とにかく、命が助かっただけでも幸せだと分かりました。

私の体はこの事故を除いても、今生きているのが不思議なくらいです。大学時代、下宿の人にうつされた肺結核、教員時代、文部省「週3回の英語授業」研究発表の為、2年間研究主任をしていて運動不足やストレスによる心臓肥大・胆嚢炎、スキー場で後ろから追突され転倒し肺に血液が溜まり緊急入院、脳梗塞、ヘルニア(左右)など。

今度の事故で入院して、たくさんの「奇跡」を経験しました。約3ヶ月間ベッドで自分では体を右にも左にも動かすことができませんでしたが、両手に損傷無くホッとしました。自分は中学2年の時からヴァイオリンを弾き(ほとんど独学で)、色々な場面で演奏しているからです。福島県郡山市へ引っ越し里帰りしてから、郡山市民オーケストラに所属しています。

左耳が聞こえず、左脚は治っても、もう以前のような行動はできない。首はカラーで固定され動かすことができない。「もうヴァイオリンを持つことはできないかも知れない」と主治医にも言われていました。でも、両手が使える。神さまは私に「新しい命」を与えてくれた。ヴァイオリンを弾く両手を残してくれた。すずめ「チー」が大切なことを私に教えてくれました。命のある限り、精一杯生きる。

毎朝毎晩私を励ましてくれた若くて美人のNM主治医、K看護婦さん・たくさんの看護師さん達、K(2人)リハビリ担当の先生(2人とも女性)・たくさんのリハビリ担当の先生達、昨年9月から今年3月11日震災直前までお世話になっていたヘルパーさん、入院中に知り合ったたくさんの患者さん達。

私の努力が始まりました。体を治し、ヴァイオリンを弾き、市民オーケストラに戻る。命が助かったのは、私以外の「生き物」のため。今では、鼓膜が無事だったため、左耳も三分の一ほど聞こえるようになりました。

自分でベッドから車椅子に乗り移るのも簡単ではありませんでした。3ヶ月間の身動き出来ない生活。体全体の体重も減り、筋力も衰え、想像したこともない状態でした。筋力を取り戻すには、本人の長期の努力が必要と知らされました。筋力が衰えるのは簡単、でも回復させるには何倍もの期間と努力が必要なのです。車椅子が使えるようになっても、腕、肩の筋力が衰えていて、大変でした。車椅子に乗っている人の苦労が初めて分かりました。腕、肩の筋力をつけるため「ピッキング」と言う器具を使うことになりました。この器具を使って右足だけの歩行のリハビリが始まりました。左脚、左肺の呼吸はK先生により入院して直ぐに丁寧に、しかし厳しくリハビリをしてもらていました。もしNM主治医、Kリハビリ担当の先生に会えなかったら、今の私は無かったかも知れません。

リハビリの時間は日曜を除いて毎日あります。私は車椅子に乗るようになってから、一日2回二人の先生によるリハビリになりました。この時間だけではなく、自分でも病院内の廊下で練習を続けました。使えるのは右足だけ、長時間の練習はできず、休み休み。後で分かったのですが、この「ピッキング」器具のリハビリで左肩の骨が折れ、3センチほど高くなってしまいました。手術はできるが治っても左腕を上に上げることができなくなる人が多いと聞き、それではヴァイオリン弾くことができなくなると思い、手術はしないで行くことにしました。このままでも生活には支障はないと聞いたからです。でも、これが原因で、今でも両肩に約2キロの重さを感じ、鎧(よろい)を着ているようです。この状態が死ぬまで続くのです。自分の頭の重さを直接両肩に受けているのです。

車椅子にも自由に乗れるようになりました。でも首はカラーで固定されているため自由に動かすことはできません。同時に「松葉杖」を2本使うリハビリも始まりました。これも肩と腕の筋力が必要でした。でも、K先生の的確な指導があって、「院内を自由に松葉杖で使って行動しても良い」と言われてから3日後のリハビリの時間に、「杖無しで歩いてみて!」と言われ、2本の松葉杖を先生に手渡し、恐る恐る骨折している左足を前に出してみました。そして右足も・・・。少しして松葉杖無しで自分で歩いている私の姿を見た周りのたくさんのリハビリの先生達も驚き、大きな歓声をあげていました。一番驚いたのが自分自身です。今自分の足で歩いている。

自分が退院できても、松葉杖か杖を使用するようになる。もう自分の足だけでは行動出来ないと思っていました。でも、松葉杖のリハビリの時間に、思うように練習ができない私に、K先生が「楢和さんは松葉杖を使うのが目的ではない。自分の足で歩くのが最終目的なんだよ」と言っていたのを思い出しました。K先生の言う通りになったのです。

昨年12月にNM主治医が夕方、腕に長い紙の箱を持って、いつもの笑顔で病室に入って来ました。「さあ、新しいカラーにするよ」と、入院してからこれまで着けていた「フィラデルフィア」と言う堅いカラーを私の首からはずし、新しい柔らかいブルーのカラーに換えてくれました。思わず涙が出て止まりませんでした。「ブルーカラー」ならかなり楽になるからです。この時のことはこれからも忘れることはありません。

今年1月その「ブルーカラー」もはずしてもらい、1月22日退院することができました。自分の足で歩き、首の「カラー」もとれての退院です。その後1ヶ月1回の外来、今は2ヶ月に1回の外来診察に通っています。

こんなに早く自分の足で歩き退院できたのも、以前から使用していたカルシウム、グルコサミン、コンドロイチン硫酸、ヒアルロン酸その他のサプリメントのお陰と分かりました。左脚を手術しても骨折部分の骨が新しい骨を形成し始めなければ治りません。頸椎骨折はカラーで固定し、新しい骨を形成してくれるのを待つのみです。私の場合、長年のサプリメント使用のお陰で、他の人より新しい骨が早く形成されたのです。

退院するのは嬉しいのですが、11歳になるオカメインコと2匹のうさぎ、ベランダには長年種から育てて来たたくさんの樹木、自分のことよりこの子達が心配でした。他の人にお願いはしてあったのですが・・・。何とか今回投稿した写真のアン、ミミ、チビの命は助かりましたが、ベランダのたくさんの樹木達は、ウイーンから種を持ってきた育てた「野ばら」・「カスタニア(三分の二の枝は枯れてしまいましたが、何とか生きていてくれました)」以外は死なせてしまいました。私が交通事故に遭ったことで多くの命を失ってしまったのです。

1月22日に退院して後、部屋を元の状態に戻すのに約1ヶ月かかりました。そして3月9日にミミとチビを引き取り、10日にアンを引き取り再会して喜びました。半年ぶりの再会です。入院中、ベランダの樹木達のことは、少しは期待していましたが、アン、ミミ、チビが生きていてくれることを願うばかりでした。みんな私の姿を見て喜びを体で見せてくれました。アンは歌をすっかり忘れていました。どれだけ苦労をかけてしまったか、みんなの姿をみて一目で分かりました。でも、生きていてくれた。私はアン、ミミ、チビの命を守るために退院して来たことを悟りました。

次の3月11日午後3時少し前、あの巨大地震(今は「東日本大震災」と呼ばれていますが)が
我が家をも襲ったのです。

7階にある我が家は1階が駐車場になっている為、郡山に越して直ぐに、宮城沖地震に遭い震度4を経験し、飾り棚の皿(マイセン2枚10万円)と本棚に置いてあった物が3分の2落としてしまいました。その後、釘と針金で家具・本棚を固定し、それから地震があっても震度4までは何も落ちることがありませんでした。

でも、今回の地震は郡山は震度6強、6弱、5強と命が助かっただけでも幸せだったのです。突然、部屋が上下前後左右に揺れ、これまでにない長い激しい揺れでした。家具は移動し、コンピューター、壁に飾ってある物ほとんどが落下、大きなシャンデリアも垂れ下がってしまいました。台所の茶ダンスは30センチほど移動、中のガラスと瀬戸物類は入り口が開き、落下大部分は割れてしまいました。すべての部屋が落下物で足場もない状態でした。大きな余震はおさまることなく、2~3分おきに続きました。ミミとチビの居るケージは2つ共、台の上に置いてありました。チビのケージは落ちる寸前、手で止めることができましたが、今日のアンの後ろに写っているミミのケージは下に落ち、もしこの場に私が居なければミミは死んでいたかも知れません。直ぐに元に戻し、ガムテープでしっかりと固定しました。アンは大きな声で鳴きながら部屋を飛び回っていました。アンはこれまでにも地震は経験済みですが、こんな恐ろしい地震は初めてだったのです。ガス・水道は一時止まりましたが、電気は停電することはありませんでした。

日が経つにつれ、余震も小さくなってきたので、部屋を少しずつ片づけようと始めて間もなく4月11日に再び震度5強の地震に襲われました。3月11日に落ちる物はすべて落ちてしまったので、茶ダンスの茶碗以外はあまり落ちることはありませんでしたが、この時の「恐怖心」が今でも残っています。これまでの地震とは違い、余震が小さくなっても決して安心はできない。今でも時々震度5強の余震があちらこちらで起こっているからです。今も連日1日10回以上の大小の余震が続いています。椅子に座ると体が揺れ、地震で揺れているのか体だけ揺れているのか分からなくなってしまいました。震度1でもミミとチビは、サッと立ち私の方を見続けます。「大丈夫!」と手を振り合図したり、「撫で撫で」をしてやると落ち着いてくれます。アンもミミもチビも私だけを頼りにしているのです。

地震だけでも大変なのに、東電の原発事故で、地震どころではなくなってしまいました。「避難勧告」が出たらどうしようと心配でした。郡山市も福島市同様盆地です。放射線測定値が高いのです。でも、勧告が出されても、これまで苦労させて来たアン、チビ、ミミを置いて自分だけ避難することはできません。アン、チビ、ミミを死なせるなら、自分もここに残り死ぬと心に決めていました。

人間だけの問題ではないのです。人間以外の動物、植物、その他すべての生き物達の問題なのです。今回の東日本大震災、津波で多くの人の命を無くしました。私達が住んでいる福島県はこれに加え、原発事故でこれからの安全も奪われています。管総理は何をやっているのでしょうか。国会は何をしているのでしょうか。

私達家族(アン、ミミ、チビ)も今大変な状態の中を過ごしていますが、でも、命があるだけでも幸せな状態なのが分かります。被災地全体のことを考えれば・・・。

春も真っ盛り、家の周辺の空き地、阿武隈の土手にはこれまで見たこともない風景があります。これまで絶滅状態でほとんど見ることができなかった(白)クローバーの花の群生が至るところで見られるのです。これまではすべて人の手で刈り取られていたのです。今は草を刈る余裕さえないのです。阿武隈の土手も同じ状態です。自然な状態と言って良いのかも知れません。すずめの子供達もたくさん育っています。人間以外、放射線のことなど知りません。でも、すべての生き物の命を脅かしているのです。地震同様、いつまで続くのか分かりません。



Ann20110601-1.jpg
(久しぶりのアンの写真です。11歳になりました。)

昨年7月投稿以来のアンの写真です。震災でカメラは無事でしたが、コンピューターがWindows、Macとも他の器機と共に転倒してしまい、4月11日再度の大地震が静まり、片付けを始めるまで、使えるかどうかも確認出来ませんでした。5月に入って使えることが分かり、少しずつ Mac を使うようになりました。Windowsと他の器機も無事なようですが、まだそのままの状態です。

アンは昨年9月以前のアンとは違っていました。今は私の姿が見えないと大声で鳴き叫ぶようになりました。長い間私が姿を見せなかった為です。すずめ「チー」と全く同じ状態です。部屋に居ても私から離れようとはしません。今は羽の生え換え期です。もう少しで終わるようです。昨日も4本の羽が抜け落ちました。抜け落ちる時はやはりかなり痛いようで、時々鳴きながら部屋を飛び回ることがあります。アンも私と同じ、年をとっています。11歳になりました。


Chibi20110601-1.jpg
(チビです。3歳になりました。)

ミミもチビもアンとは違い、2年ほどの付き合い、私のことを忘れているか心配でしたが、3月9日私の姿を見ると体で喜びを表していました。私のことを忘れてはいなかったのです。

1月22日退院して直ぐに、阿武隈川の土手の牧草地に電動自転車で行ってみました。やっと歩ける状態でした。雪の残る牧草地を往復約2キロゆっくりと歩きました。ミミとチビを引き取った時、できるだけ早くタンポポやアカツメクサ(赤クローバー)、イネ科の植物を食べさせたかったからです。イネ科の植物は冬でもほぼ毎日採ってきて食べさせていました。春になればタンポポ、アカツメクサともたくさん食べさせることができると確認できました。

でも、原発事故で放射能の問題、今、たくさんのおいしそうなタンポポ、クローバー、イネ科の植物が育っているのに食べさせることができません。何時になったら食べさせられるようになるのか、悔しくてたまりません。


Mimi20110601-1.jpg
(ミミです。3歳になりました。)

3月9日と10日に準備していたサークルでそれぞれ1時間遊ばせてやりました。最初確認していましたが、以前のサークルと分かりミミもチビも大喜びしていました。ミミは他の人には見せたことのないお腹を私に見せるようにして寝そべり、私に撫で撫でしてもらい大喜びをしていました。

阿武隈から食草を採ってきて食べさせられない今、野菜をあげるしかありません。勿論、乾燥のオオバコ、タンポポ、乾燥野菜などは以前から与えているのですが・・・。

今安心出来ることはミミ、チビとも、以前から使用している北海道の2種類の牧草が大好きで、良く食べてくれます。スーパーにある野菜より牧草の方が好きなようです。勿論、生のタンポポ、クローバー、イネ科植物をあげるとそちらを先に食べることは分かっているのですが・・・。通販で生牧草を取り寄せようとも考えましたが止めました。

3月11日の震災後6月に入るまでは毎日の地震が心配でサークルで遊ばせることができませんでした。ミミ、チビも一日10回以上続いている大小の余震におびえていることもあります。でも以前のように毎朝1時間ずつサークルで遊ばせることにしました。初め数日間は用心している様子でしたが、今は以前のように元気に走り回っています。勿論、サークルで遊んでいる時にも地震があります。でも、「大丈夫!」と腕を振ってやると安心し、遊びを再開しています。


Nobara20110601-1.jpg
(シューベルトの「野ばら」です。花はこれからです。)

鉢の中央にある太い木の切り株はオーストリアのアルプスから松ぼっくりを持ち帰り、種を採って長年育ててきたアルプスの松の木ですが、私が入院して面倒を見られなくなり、他の人が水をあげていましたが、以前のように毎日夏は2回、冬でも1回水をやることは不可能で、枯れてしまいました。あんなに青々と元気だったのに、私が車にひかれてしまったために死なせてしまいました。

でも、うれしいことにその松の木の幹の近くに、これもウイーンの森から採取して来た種を持ち帰り育ててきた「野ばら」の枝に花が咲き、できた実(種)がこの鉢に落ちで芽を出し大きくなり、松の木に邪魔だったので、上の部分は枝が伸びないように切っていました。それが他の「野ばら」はほとんど全滅だったのに、生き残っていてくれたのです。手荒く扱っていたのに・・・。今は大切に育てています。


Nobara20110601-2.jpg
(今年芽を出した野ばらです。)

鉢の右端に見える枝の一部は、これまでに右にある2つの鉢と共に、長年きれいな花を咲かせていた「野ばら」です。全滅でした。でも、一昨年たくさん実が採れ、その実を枝の根本に埋めておいたのが昨年たくさん芽を出し、残った種が今年になって芽を出してくれたのです。「野ばら」は1年で芽を出すとは限りません。入院中、これに期待をしていました。思っていた通りたくさん芽を出し、元気に育っています。嬉しいことです。


Kastania20110601-1.jpg
(生き残っていてくれた「カスタニア」です。)

これがウイーンから種を持ち帰り、長年育ててきた「カスタニア」です。種と言っても栗に似た形をしていて、大きいです。1個だけ植えたのですが、それが元気に芽を出し今まで我が家のシンボルのひとつになったいました。オーストリアでは「ホイリゲ(居酒屋)」の庭に有り、家をすっぽりおおうような大木になるため、その下で多くの人がテーブルを囲みワインを飲み料理を食べています。勿論、道路の両側にも植えられ、赤や白の花を咲かせ、栗のような実が街路樹の下にたくさん落ちている光景を目にします。日本の栗と違って食べられません。人も他の動物達も口にしません。


Kastania20110601-2.jpg
(「カスタニア」の根元です。)

我が家のこの「カスタニア」はまだ花を咲かせたことがありません。ベランダで育てているため、枝を毎年切らなければなりません。葉を茂らせ、新しい枝を伸ばし始めると直ぐに天井に届いてしまいます。幹もご覧のよに太くなっています。この鉢はもう限界です。

入院中、ベランダの樹木達に水をやってもらっていたのですが、昨年の12月頃、頼んでいた人に「「カスタニア」は枯れているかも知れない。切ってもいいか」と言われたので、もし、切るなら、そのまま幹を切って捨てないで、幹の一部分を記念に残しておいてほしいと言いました。

退院後、ベランダを確認すると、「カスタニア」はそのままになっていました。長年育ててきた経験で、枝先を見ると、新しい芽は生きているようでした。今年の1月22日の退院後、ベランダの残された「山桜」を初めすべての樹木達に以前と同じく毎日水をやっていました。

でも、日本の樹木達はすべて枯れてしまい、オーストリアから種を持ってきて育てた多くの樹木達も枯れてしまいました。悔しくて涙も出ませんでした。「野ばら」の一部とこの「カスタニア」だけは何とか生き残ってくれたのです。「カスタニア」は上の写真の通り、枝の三分の二は枯れてしまいました。残り三分の一は枝から元気に葉を茂らせ、ご覧のように根元からも新しい芽を出し、必死で生き延びようとしているのが分かります。感謝の気持ちで一杯です。写真に見える凧糸の紐は台風の為、鉢を針金で固定しているのは地震の為です。今年は枯れ枝以外は切ることをせず、そのまま伸ばしてやることにします。天井に着くことはないので・・・。花を咲かせてくれるかも知れません。

阿武隈の土手に育っている日本の「野バラ」は今白い小さな花で満開です。以前なら、我が家の「野ばら」も今が花盛りなのですが、今年はまだ花の姿はありません。「野ばら」は今年伸びた枝には花芽を付けず、昨年伸びた枝に花芽を付けます。今年は花は見られないかも知れません。


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Tさんからの「夢二君」の写真・近況報告(2010年12月27日)はこちらです。

*「3つの名前を持つ猫ちゃんの記録写真集」は、ここをクリックすれば「写真集」にジャンプします。ぜひ、訪問して、ご覧下さい。


Tさん宅の「夢二君」です。会話をしながらの撮影のため、音声は消してあります。


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コメント
-震災後-
ブログ、拝見させて頂きました。私の所は横浜市内ですが震度5強だったそうです。テレビをつけたところに津波の映像が流れました。実際に起きていることなのかと一瞬、自分の眼を疑いました…。今回の大災害で多くの人や犬や猫、小鳥や小さい生き物たち、植物、昆虫。私たちが生きていく上でかけがえのない大切な存在をなくしてしまいました。そして原発事故…。今まで当たり前と思っていたことが違っていたこと、自分が生きている意味を初めて考えました。ならわさんがアンちゃんやミミちゃん、チビちゃんを置いて避難できないというお気持ちはすごくよくわかります。報道で避難のため、大事にしていた家畜を置いていかないといけない方の話を聞いた時、思わず号泣しました。
国も身内のことで騒いでいるのでなくもっと被災地のこと、そこに住んでいる人たち、避難している人たち、ペットたちのことを真剣に考えてほしいと思います。
話がまとまらなくてすみませんでした。ならわさん、どうか無理しないでくださいね。アンちゃん、ミミちゃん、チビちゃんにはならわさんが頼りなのですから。
2011/06/20 20:38  | URL | ポポ #SYuctK0Q[ 編集] |  ▲ top

-ポポさんへ-
ポポさんのコメントを読ませて頂き、本当に勇気づけられました。

コメントを頂いて直ぐに返事を書こうと思っていたのですが、コンピュータの調子も悪くなり、大小の余震が毎日襲って来るため、長い間、ブログから遠ざからざるを得ませんでした。

今日(8月19日)も午後2時過ぎ震度5弱の地震がありました。私は近くのスーパーで買い物をしている最中でした。建物が音を立てて大きく揺れだし、驚きました。急いで家に帰り、アン、ミミ、チビの様子を確かめました。7階にある我が家、エレベーターはストップしていました。階段を皆の無事を祈りながら登りました。皆、無事だったのでホッとしました。各部屋の点検をすると、北の部屋の家具転倒防止器具がはずれそうになっていました。急いで天井と家具を支えている上と下の部分をガムテープで動かないようにしました。

テレビを見ていると、東日本大震災は終わり、原発事故も終わり、猛暑の夏も終わり・・・。テレビを見ていると怒りがこみあげてきます。茨城県、福島県、宮城県、岩手県は今も震災は続いているのです。特に福島県は人災事故である原発事故ですべての生き物の命が奪われようとしているのです。セシウムの半減期が30年ですから、私が生きている間は以前の自然を取り戻すことはできません。東京電力を恨み、管総理を恨みます。
2011/08/19 19:43  | URL | ならわ #-[ 編集] |  ▲ top


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