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おかめ「アン」、うさぎ「クロ、ミミ、チビ」 音楽情報
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作曲者・曲解説 ー 01
- 2008/12/18(Thu) -


現在、郡山市民オーケストラの「広報」委員をしている関係で、「定期演奏会」その他の「演奏会」に演奏される曲の解説を担当しています。


01Anderson

ルロイ・アンダーソン(Leroy Anderson, 1908年6月29日 - 1975年5月18日)は、アメリカの作曲家。軽い曲調の管弦楽曲で知られる。ほとんどの作品は、アーサー・フィードラーの指揮するボストン・ポップス・オーケストラによって紹介された。作曲家ジョン・ウィリアムズは「アメリカ軽音楽の巨匠」と評している。

ルロイ・アンダーソンは、スウェーデン移民の両親の許にマサチューセッツ州ケンブリッジにて生れる。教会オルガニストを務める母親からピアノの手ほどきを受けた。父親は郵便局員であったが、音楽好きで、家庭ではマンドリンやバンジョーをたしなんでいたという。

地元のハイスクールでラテン語教育を受けた後1926年にハーヴァード大学に入学。楽理をウォルター・スポールディングに、対位法をエドワード・バランタインに、和声をジョルジェ・エネスクに、作曲をウォルター・ピストンに学ぶ。ニューイングランド音楽院にも通い、ヘンリー・ギデオンにピアノを、ガストン・デュフレーヌにコントラバスを師事。1929年に芸術学学士号を、1930年には芸術学修士号を取得してハーヴァード大学を修了し、2年間ラドクリフ大学で教鞭を執るかたわら、バンドマスターやダンスホールのダブルベース奏者、学生合唱団の指揮者や教会オルガニストなども務める。

1938年に音楽家としての転機が訪れる。ボストン交響楽団のマネージャーの求めによって、ハーヴァード大学の学生歌を編曲して提出したところ、指揮者アーサー・フィードラーの目に止まり、オーケストレーションの能力を激賞されたうえ、自作を書くように求められる。これを機に「ジャズ・ピチカート」を作曲・発表し、聴衆の好感触を得た。続編を要請するフィードラーに応えて、今度は「ジャズ・レガート」を作曲、これも好評をとった。

1942年、米軍に入隊し、第二次世界大戦中はスカンジナビア語担当の情報将校としてペンタゴンで働く。これに先立って結婚するとともに、学業を断念した。朝鮮戦争の際にも軍属として活動した。

1957年、メレディス・ウィルソンの「76本のトロンボーン」のオーケストレーションを担当する。これに刺激を受け翌年、ミュージカル「ゴールディロックス」を書いた。同作品はトニー賞を受賞したが、商業的には成功しなかった。アンダーソンは以後ミュージカルを書かず、管弦楽曲の小品の作曲を続けた。

1975年、肺ガンのためコネティカット州ウッドベリーの自宅で死去。66歳没。1988年に「作曲家の殿堂」入りを果たす。彼の音楽は今でもポップス・オーケストラの定番レパートリーとして演奏され続けている。

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The Typewriter「タイプライター」 1950年の作品~タイプライターの打鍵の音を楽器として使っている。「忙しい仕事の場面」のBGMによく使われる。忙しい様子を表している。

The Waltzing Cat「ワルツィング・キャット」もしくは「踊る仔猫」 1950年の作品~ワルツの旋律の中に猫の鳴き声をイメージさせる音が入っている。最後は犬に吠えられて逃げ出す描写で終わっている。

Plink Plank Plunk「プリンク・プレンク・プランク」 1951年の作品~弦楽器(ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバス)のピチカートだけで演奏される曲。途中で、弦楽器本体の裏板を手でこすったり、ダブルベースをぐるぐる回転させるパフォーマンスがある。指揮者等の編曲により、管楽器・打楽器が入る場合がある。ベースラインがテンポを持ち上げる軽快な曲。


02Schubert

フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert, 1797年1月31日 - 1828年11月19日)は、オーストリアの作曲家。各分野に名曲を残したが、とりわけドイツ歌曲において功績が大きく、「歌曲の王」と呼ばれることもある。


ロザムンデ

『キプロスの女王ロザムンデ』(Rosamunde, Prinzessin von Zypern )作品26、D797は、フランツ・シューベルトが同名のロマン劇のために作曲した劇付随音楽である。『ロザムンデ』と略される。

この付随音楽は、ベルリン出身の女流作家ヘルミーネ・フォン・シェジー(1783年 - 1856年)の戯曲『キプロスの女王ロザムンデ』のために作曲された。シェジーは1823年の10月にウェーバーの歌劇『オイリアンテ』の台本を書き、その初演に立ち会うためにウィーンに滞在していたが、10月25日にケルントナートーア劇場で行なわれた上演が不評だったため、急遽名誉挽回のために『ロザムンデ』を12月20日に書き上げ、ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場で上演した。しかし劇は翌日再演されただけで上演が打ち切られてしまった。その劇音楽の作曲を依頼されたのがシューベルトで、12月20日の初演までの短い期間で、10曲からなる付随音楽を完成させた。

この時、序曲だけが間に合わず、その前年に作曲された歌劇『アルフォンソとエストレッラ』D732の序曲を転用した。『アルフォンソとエストレッラ』は、シューベルトのかなりの自信作であったが、ウィーンで上演されることがなかったため、序曲だけでも人々の耳に触れさせるために意図したと考えられている。後に、1820年に作曲されてかなりの評判を得た劇付随音楽『魔法の竪琴』D644の序曲が『ロザムンデ』の序曲として転用された。この『魔法の竪琴』序曲の自筆の草稿には、後に何者かによって『ロザムンデ作品26』というタイトルが書き込まれていて、かなりややこしくなっている。

上述の通り、1823年12月20日に初演がアン・デア・ウィーン劇場で行なわれたが、台本の稚拙さゆえに失敗に終わってしまった。舞台は貧弱で、主役の女優が下手だったことや、ウェーバーとシューベルトが『オイリアンテ』のことで仲違いをしたために、ウェーバーの支持者たちが可能な限り上演を妨害したからだといわれている。『ロザムンデ』の台本は散逸してしまい、現在は音楽だけが残っている。しかしシューベルトの音楽は、初演当時から好評をもって迎えられたのは事実であり、現在でも部分的にはたびたび演奏されている。


03Humperdinck

『ヘンゼルとグレーテル』

ドイツの作曲家エンゲルベルト・フンパーディンク(Engelbert Humperdinck, 1854年9月1日 - 1921年9月27日)は、ワーグナーの助手を務めたこともある、主として劇場用の音楽を書いた人です。代表作『ヘンゼルとグレーテル』は、今日でもクリスマスのシーズンになると、ヨーロッパ各地でさかんに演奏されるメルヘン・オペラの傑作です。
 この前奏曲(約8分)は、ヘンゼルとグレーテルの二重唱「祈りの歌」など、オペラの中の旋律を使って、親しみやすくメルヘン的な雰囲気を巧みに醸し出しており、単独でも演奏される機会の多い作品です。

あらすじ

1幕 - 貧しいほうき職人、ペーターの家で、二人の子供のヘンゼルとグレーテルが遊んでいるが、お腹が空いたが、貧乏で食べるものがない。仕方がなく、二人で踊って空腹を忘れようとするが、床に転んでしまう。そこへ2人の母親のゲルトルートが帰宅して、2人が遊んでばかりで仕事をしないことを叱りつける。彼女は2人の子供に森へ行って、いちごを摘んでくるように言いつける。ペーターが帰宅し、暗くなっても子供たちがまだ戻ってこないことに夫婦は心配になって、森へさがしへ行く。

2幕 - 兄妹は森の中でいちごを食べていたが、気が付くとすっかり暗くなっていた。眠りの精という小人が背負っている袋から砂を取り出して兄妹にかけると、2人は眠ってしまう。

3幕 - 夜が明け、朝もやが消えると、兄妹は森の中にお菓子でできた大きな家があることに気が付く。兄妹は喜んで食べていると、家のなかから魔女が出てきて、甘い声をかける。子供たちは信用しないので、ヘンゼルに魔法をかけておりに入れてしまった。魔女はグレーテルを働かせてヘンゼルを太らせて食べようと考えている。ヘンゼルは小枝を使ってまだ太っていないとごまかし続けている。グレーテルは魔女の呪文を覚えて兄を助ける。二人は魔女がかまどを開けた時、かまどに押し込んで閉じ込めた。かまどが爆発し、中から魔法で閉じ込められていた子供たちも出てくる。皆で喜び合っていると、ペーターとゲルトルートが現れた。夫婦は自分の子供たちの無事を喜ぶ。


04Berlioz

 『ラコッツィー行進曲』は『ラコッツィーの歌』と共に、ハンガリーの国家精
神、独立戦争における重要な音楽的シンボルと言えます。ラーコーツィ・フェレ
ンツ2世がハンガリー独立戦争(1703-1711)の指導者であった頃、無数の歌が生
まれ、とりわけ「ラコッツィー」の名が付いた歌が有名になりました。そのオリ
ジナルは複数あり、この時期に徐々に発展し、民族的展開も見せるようになりま
した。とりわけ行進曲の形をなすものは長い間、発展し続けました。
 
 現在の形の『ラコッツィー行進曲』は、1820年前後ペストの軍楽隊長だったミ
クローシュ・ショールがいくつかの素材をまとめたもので、当時最も有名にな
り、様々な作曲家によってアレンジされました。ベルリオーズ、リストをはじ
め、コダーイ、エルケルなどが知られています。
 
ベルリオーズの作品は数あるアレンジの中で最も有名で、ハンガリーのオーケス
トラが海外公演をする際、アンコール曲としてよく取り上げています。


05Sarasate

パブロ・デ・サラサーテ(1844年3月10日-1908年9月20日)は、スペインのパン
プローナに生まれた作曲家、ヴァイオリン奏者。

8歳のときに初めての公演をし、10歳のときにスペイン女王の前で演奏を披露し
た。その後パリのコンセルヴァトワールで学び、13歳のときヴァイオリン科の一
等賞を得た。1860年代ごろから演奏家としての活動を始め、1865年には、一番初
めに仲良くなったサン=サーンスと演奏旅行をした。またサン= サーンスは、サ
ラサーテに「序奏とロンド・カプリチオーソ」、「ヴァイオリン協奏曲第3番」
などを捧げた。サラサーテの華麗な名人芸は、チャイコフスキーやブラームスな
どにも影響を与えた。

1908年9月20日、慢性気管支炎のためフランスのビアリッツで死去。

彼の作品はほとんどヴァイオリンと管弦楽(もしくはピアノ)のための作品であ
り、スペインの民謡や舞曲の要素を盛り込んだ国民楽派に位置付けられるが、現
在に至るまでジプシーの民謡によるツィゴイネルワイゼンのみが知られているの
が現状である。

参考:
若手ヴァイオリン奏者のためのコンクール「パブロ・サラサーテ国際ヴァイオリ
ン・コンクール」が開催されている(ヴァイオリン部門とオペラ部門が毎年交互
に開かれている)。

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ツィゴイネルワイゼン Op.20 ハ短調 演奏時間:約8分

ツィゴイネルワイゼンは、スペイン生まれのヴァイオリニストであるサラサーテ
が作曲、1878年に完成した管弦楽伴奏付きのヴァイオリン曲である。非常に派手
で劇的なヴァイオリン演奏で知られる。

「Zigeunerweisen」はドイツ語。「ツィゴイナーヴァイゼン」とするほうがドイ
ツ語の発音に近い。

構成は「協奏曲」の3楽章に相当する3部から成る。

Moderato - Lento

4/4 悲しげながらも堂々とした旋律。管弦楽の斉奏のあと独奏が主題を表す。非
常に装飾音符が多く、見せ場には事欠かない。

Un poco piu lento

2/4 いわゆる逆付点(16分音符+付点8分音符のリズム)が印象的な旋律を、弱音
器を付けたヴァイオリンが奏でる。ハンガリー民謡にそのまま題材をとっている。

Allegro molto vivace

2/4 イ短調。いきなり急速なテンポとなる。通常の右手のピチカートと技巧的な
左手のピチカートを併用する。

参考:
 *いくつかのハンガリー民謡・大衆音楽の旋律を組み合わせて作られた。
 *オリジナルはヴァイオリンと管弦楽であるが、ヴァイオリンとピアノで演奏
する機会も多い。


06Beethoven

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven、1770年12月16
日ごろ(洗礼を受けたのが12月17日であることしかわかっていない)-1827年3月
26日)は、ドイツの作曲家。ボン生まれ。


ベートーヴェン 交響曲第9番

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調作品125(ドイツ
語:Sinfonie Nr. 9 d-moll op. 125)は、ベートーヴェンの9番目にして最後の
交響曲である。副題として合唱付きが付されることも多い。また日本では親しみ
を込めて第九(だいく)とも呼ばれる。第4楽章はシラーの詩『歓喜に寄す』が
用いられ、独唱および合唱を伴って演奏される。その主題は『歓喜の歌』として
も親しまれている。古典派の以前のあらゆる音楽の集大成ともいえるような総合
性を備えたと同時に、来るべきロマン派音楽の時代の道しるべとなった記念碑的
な大作である。

第4楽章の「歓喜」の主題は欧州連合の歌に制定されているほか、コソボ共和国
の暫定国歌として制定、ベルリン国立図書館所蔵の自筆譜資料は2001年にユネス
コの『世界の記憶』(『世界記録遺産』とも)リストに登録された。

元来、交響曲とはソナタの形式で書かれた器楽のための楽曲で、第1楽章がソナ
タ、第2楽章が緩徐楽章、第3楽章がメヌエット、第4楽章がソナタやロンドとい
う4楽章制の形式が一般的であった。ベートーヴェンはその交響曲の第3楽章にス
ケルツォを導入したり、交響曲第6番では5楽章制・擬似音による風景描写を試み
たが、交響曲第9番では第2楽章をスケルツォとする代わりに第3楽章に瞑想的で
宗教的精神性をもった緩徐楽章を置き、最後の第4楽章で4人の独唱と混声合唱を
導入した。ゆえに「合唱付き」(Choral)と呼ばれることもあるが、ドイツ語圏
では副題は付けず、単に「交響曲第9番」とされることが多い。この第4楽章の旋
律は有名な「歓喜の歌(喜びの歌)」で、フリードリヒ・フォン・シラーの詩
『歓喜に寄せて』から3分の1程度を抜粋し、一部ベートーヴェンが編集した上で
曲をつけたものである。交響曲に声楽が使用されたのはこの曲が必ずしも初めて
ではなく、ペーター・フォン・ヴィンターによる『戦争交響曲』などの前例があ
るものの、真に効果的に使用されたのは初めてである。

ちなみに、ベートーヴェン以降もなお、声楽付き交響曲は珍しい存在であり続け
た。ベルリオーズやメンデルスゾーン、リストなどが交響曲で声楽を使用してい
るが、声楽付き交響曲が一般的になるのは第九から70年後、マーラーの『復活交
響曲』が作曲された頃からであった。

まぎれもなくこの交響曲は、ベートーヴェンの最高傑作の一つである。大規模な
編成や1時間を超える長大な演奏時間、それまでの交響曲でほとんど使用されな
かった、ティンパニ以外の打楽器(シンバルやトライアングルなど)の使用、ド
イツ・ロマン派の萌芽を思わせる瞑想的で長大な緩徐楽章(第3楽章)の存在、
そして独唱や混声合唱の導入など、彼自身のものも含むそれ以前の交響曲の常識
を打ち破った大胆な要素を多く持ち、シューベルトやブラームス、ブルック
ナー、マーラー、ショスタコーヴィチなど、後の交響曲作曲家たちに多大な影響
を与えた。また、ベートーヴェンの型破りな精神を受け継いだワーグナーやリス
トは、交響曲という殻そのものを破り捨て全く新しいジャンルを開拓した。この
ように、交響曲作曲家以外へ与えた影響も大きい。

ベートーヴェンは当時既に聴力を失っていたため、ウムラウフが正指揮者とし
て、ベートーヴェンは各楽章のテンポを指示する役目で指揮台に上がった。ベー
トーヴェン自身は初演は失敗だったと思って、演奏後も聴衆の方を向くことがで
きず、また拍手も聞こえず、聴衆の喝采に気がつかなかった。見かねたアルトの
歌手がベートーヴェンの手を取って聴衆の方を向かせ、はじめて拍手を見ること
ができた、という逸話がある。観衆が熱狂し、アンコールでは2度も第2楽章が演
奏され、3度目のアンコールを行おうとして兵に止められたという話まで残って
いる。

日本では、年末になると各地で第九のコンサートが開かれる。近年では、単に演
奏を聴くだけではなく、実際に合唱を行う方に回る、参加型のコンサートも増え
つつある。日本での圧倒的な人気の一方で、ヨーロッパにおいては、オーケスト
ラに加え独唱者と合唱団を必要とするこの曲の演奏回数は決して多くない。




ベートーヴェン 交響曲第7番

交響曲第7番イ長調作品92はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが作曲した7
番目の交響曲。明るく軽快な曲想から広く支持され、現在でも演奏される機会が
多い。

ベートーヴェンの交響曲中でも最もリズミカルな作品である。第5番や第6番にお
けるさまざまな新たな試みの後に、再び正統的な手法による交響曲に回帰した作
品であり、9つの交響曲中最もバランス感覚に優れた作品といえる。

音楽家からの評価はさまざまである。ワーグナーは各楽章におけるリズム動機の
活用を指して、この曲を舞踏の聖化と絶賛している。その一方で、ウェーバーは
「ベートーヴェンは今や精神病院行きだ」との言葉を残しているし、ワインガル
トナーは「他のいかなる曲よりも精神的疲労を生じさせる」と語っている。

作曲は1811年から1812年にかけて行われ、初演は、1813年12月8日、ウィーンに
て、ベートーヴェン自身の指揮で行われた。同じ演奏会で初演されたウェリント
ンの勝利のほうが聴衆の受けはよかったとされるが、それでも初演は成功であ
り、第2楽章はアンコールを求められた。

古典的な交響曲の形式に従うが、緩徐楽章(第2楽章)では通例「遅く」などと
指定されるところを「やや速く」と指定されている。また、全曲を通してリズム
が支配的であり、快い速度で全曲を駆け抜けていく。演奏時間は約35分。

第1楽章 Poco sostenuto - Vivace

イ長調、序奏付きソナタ形式、4/4拍子[1] - 6/8拍子(提示部反復指定あり)

トゥッティで四分音符が強く奏され、オーボエがソロで奏でる。そして、長大な
上昇長音階の輝ける序奏の後、付点音符によるシチリアーノの軽快なリズムの音
楽が始まる。第1主題はフルートの楽しげなソロによって提示される。そこから
付点音符の動機が全曲を通して反復されるため第2主題との対比は少ない。シチ
リアーノが主題部展開部再現部すべてを支配しておりワーグナーの評が指示する
通りである。コーダでは低弦によるオスティナートが用いられている。

第2楽章 Allegretto

イ短調、複合三部形式、2/4拍子

初演時に聴衆から特に支持された楽章。シューマンはこの主題を基に変奏曲を遺
しているし、ワーグナーはこの楽章をさして「不滅のアレグレット」と呼んでい
る。複合三部形式の主部は変奏曲の形式であり、かたくなに同音が反復されつづ
ける静的な旋律でありながらも、和声的には豊かに彩られている。最初の三小節
でホルンと木管が奏でる印象的な和音のあとに、弦楽器で第1主題が奏でられる。

ヴィヴァーチェ、プレスト、アレグロが立て続けに演奏されるこの曲の中では、
「アレグレット(少し速く)」は、比較的遅い速度設定である。ベートーヴェン
は、ゆっくり、しかし普通のアンダンテやアダージョよりは速くしてほしい、と
いう意図で、このように設定したようである。

第3楽章 Presto

ヘ長調、スケルツォ、3/4拍子(最初のスケルツォ部分のみ反復指定あり)

スケルツォとトリオ。ただしトリオは二回現れ、ABABAの形式になっている。
コーダでは第9番のそれと同様にトリオが短く回想される。

第4楽章 Allegro con brio

イ長調、ソナタ形式、2/4拍子(提示部反復指定あり)

熱狂的なフィナーレ。第2楽章同様、同一リズムが執拗に反復され、アウフタク
トである2拍目にアクセントが置かれている。第1主題は後年の資料研究からアイ
ルランドの民謡「ノラ・クレイナ」の旋律からとられたとされている。第1楽章
同様、コーダでは低弦によるオスティナートが演奏される。




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